「今年も無事、サーバーの使用料金を引き落としたよ!」
そんなお知らせがサーバー会社から届いて震えた。サーバー会社からの便りは1年ぶり2回目である。どうやらわたしは1年ごとに6000円支払わないと維持できないブログを、2年もの間ほとんど更新せず、インターネットに置きっぱなしていたらしい。
6000円払わないと維持できないブログとは、このブログのことである。
カキフライ定食、オムライス、ナン食べ放題つきのカレーセット、カツ丼、ミックスフライ、とんかつ。6000円あったらきっと良さげなランチが6回くらい食べられるんだろう。だけどわたしの口座にあった6000円たちは、ランチになることはなく使っていないブログの運用資金になった。
存在を完全に忘れていたわけじゃない。ときどき急に思い出すことはあったのだ。でも次の日にはほぼ忘れていた。この2年の間に、使いやすいからとmixi(無料)に日記を書くことは時々あったが、このブログ(有料)には何かを書くことはほぼなかった。
mixIが好きな理由
mixIはいいところだ。
まず日記のUIが整いすぎてないのがいい。ハイセンスすぎず、文字サイズが大きすぎず、淡いグレーやオレンジ色は目に優しい。そして、なんといっても限定公開にできるのがいい。公開、非公開以外にも、数人のマイミクにだけ公開したり、マイミクのマイミクにまでは公開できたりと細やかに設定できる。自分以外に公開しない設定にもできるから、なんなら個人の日記帳としても使える。
過疎化がすすんだいま、かつてマイミクとして親しくしていた友人知人らは、ほとんど(mixi上に)いない。ときどきTwitterと紐付けたままのつぶやきが更新されることはあるが、ログインはしていなさそうだ。もうバトンがまわってくることもないんだろう。「ログイン5分以内」と表示されているマイミクだらけだった20年弱前はもう、はてしなく遠い。
でも、その圧倒的な気配のなさこそが時に妙に気楽で、心地よくて、するする筆がすすむことがしばしばあった。mixiでつぶやいた内容とTwitterでつぶやいた内容と見比べてみるとmixiのつぶやきは、ずいぶんと肩の力が抜けていてのびのびと、時にしゃべり言葉との相違がほぼない、具体的なつぶやきをしているなぁと実感する。
そののびのび感を活用しようとして、仕事で書いてる記事の書き出しが思いつかないときにとりあえずmixiの日記フォーマットを開いて書き始めてみて、エンジンがかかるのを待ってみる……なんてこともしたことがある。
天地がひっくり返るくらいショックな出来事があって、頭がぐちゃぐちゃになったときには、とりあえず、恨みつらみから何から何までを非公開日記に吐き出すことで、落ちつかせてもらったりもした。
落ちついてからしばらくしてそれを読むと、全く覚えてないことばかり書いてあるので、己の忘れっぷりのよさに安堵して、時間の経過ってほんとうに薬のようなんだなとしみじみ感じ入った。
中国に旅に出て、むこうの社会の都合であらゆるSNSに接続できなくなったとき、mixiだけはあっさりつながって感激したこともあった。つながった瞬間、猛烈にテンションが上がり、首から上を撮りそびれたウルトラマンの写真をUPしたりもした。

mixiに詰まっているのは黒歴史ばかりじゃない。うっかりマイミクからの紹介文を読み直したり、やたら記号と改行がつづくごく初期の日記を読み返したりしなければ、猛烈な恥ずかしさで叫びたくなる心配もないのだ。
無人島に何を持っていくかと聞かれたらmixiと言うかもしれない。ただ、mixiは空腹を満たしてはくれないだろうから、ほんとうにそれでいいのかは悩ましいのだけど。
mixIと与論島の類似性
で、そんなmixiと少し似ていると感じるのが与論島なのである。むかし与論島で、誰もいない海を眺めながら缶ビールを飲んだことがあった。
視界のなかに人がいない。砂浜だけじゃなく、そこまでに至る道も、そこから続く道も、きれいさっぱり気配がない。のっぺりと優雅に広がった水平線を今この瞬間に眺めている人は自分しかいない。そんな圧倒的にひとりぼっちな感じがうれしかった。
自分にとってのmixiは、少しだが、あの日の与論島っぽいところがある。空間をゆるりと独り占めしているような錯覚があるのだ。

とはいえ、である。わたしはmixiではなくこのブログのサーバーにお金を払っているのだ。次に支払いの知らせがくるのは今年の12月ごろ。使用期限はまだ1年近くもある。
手元から去っていった6000円たちに、「せっかく消費されるなら、カキフライ定食に払ってもらうほうが本望だった」とか思われないためにも、たまにはこのブログを書いていこうと思う。
