やっと最近、引越しの後片付けがひと段落した。

私の荷物は、どうやら多いらしい。引越し業者に「なるべくいっぱいください!」とお願いして取り寄せた段ボールは40箱。それでも足りなくて追加購入し、最終的には50箱を超えていたらしい。なお、自分のことなのに「らしい」という曖昧な言い方になっているのは、疲労困憊で冷静には数えられてないからだ。

荷物が多いと、入れるのも出すのも当然大変だ。生活を段ボールに圧迫されて、みしみしと首、肩、背中、腰が限界になっていくのを感じながら、「なんでこんなに物を増やしてしまったんだろう」と過去の自分を憂い、全力でとほほとなる。でも、やればやるほど即座に視界が変化するので、わかりやすい達成感もあった。

箱を開けてはばらまき、開けてはばらまき、腰を壊さないように気をつけながら部屋を整えていたらずいぶんと時が経っていた。

ところで今回は、事情が事情(取り壊し)だったため、引越し費用は、旧居の大家さんが持ってくれた。なんともありがたい話である。

おかげさまで思い切って(それでも胃をきりきりさせながらではあるけれど)家電や家具を新調することができた。心して整えたぶん、新居での生活は快適そのものだ。今までの倍サイズはあるテレビ、座り心地のいいソファ、ふわふわしたクッションなどに囲まれていると、休息のはかどり方が半端ない。

休息がはかどると、機嫌のいい日がおのずと増えて、出先で見かけたチューリップの切り花を買ってみたりしてしまう。環境を変えることでこんなにも心に影響があるなんて、衝撃だ。

でも、いちばんの環境の変化は、自分が作り出したものではぜんぜんなくて、偶然、たまたま選び取った我が家のロケーションにあることに、このまえ気づいてしまった。

新しい我が家は、スーパーまで徒歩1分なのである。

正直、家を契約するとき、スーパーのことはそこまで決め手ではなかった。間取りと値段で決めていた。つまり、スーパーとの距離は、ひょっこり手に入れた幸運ともいえる。

スーパーは、野菜の新鮮さに定評があり、時間になると、値引きシールを惜しみなくつけてくれる。お惣菜の種類も豊富だし、日用品も売っているので、急にトイレットペーパーが切れたときとかにも頼りになる。

だからもう、あっというまに心をわしづかまれた。それで通う頻度が増えていくとともに、生活に大きな変異も起こった。ぜんぜんコンビニに行かなくなったのである。前の家に住んでるときも、前の前の家に住んでるときも、なにかにつけてコンビニに行きがちだったのに、である。

「気分転換」「足りないものの補充」「自炊がままならないときの買い出し」「新作探し」「晩酌用の缶ビールを買いにいくため」「今日家から一歩も出てないから、運動のために」などなど、さまざまな理由をつけては、コンビニの肩にもたれかかり、その衝撃コンビニの壁にヒビを入れてしまいそうなくらい、自分の体重の過半数をコンビニに預けていたのに、今ではもうずいぶんコンビニが遠い。

コンビニに頻繁に行くのは、コンビニを愛しているからだと、どこかでずっと信じていた。でも、そういうわけではなかったらしい。

「自分のうちから一番近い便利な店」だったら、コンビニじゃなくてもよかったのだ。なんだかコンビニに申し訳ない。

とはいえ、スーパーに行きがちになった私の食卓には、新鮮野菜とたんぱく質が明らかに増えている。行こうと思ったときにすぐに行ける安心感から、買いだめもしなくなった。すると、食材をダメにしてしまう確率もめっきり減った。なんとなくからだの調子までいい気がしている。

この威力を知ってしまったからには、今後の住まいの条件は「スーパーが近い」が必須になりそうだ。

できれば、このあとしばらくは引越ししたくないけれど。

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