ここ一週間以上、ずっとずーっと毎日ねむい。起きているけどねむい。そこそこちゃんと寝ているのにねむい。なんなら人よりもしっかり睡眠が取れているほうだと思われるのにねむい。どうにか、からだを縦にしながらも、横にしたいなぁ、横にしたいなぁ、横になっていたいなぁと唱えている。
ただし原因についてはもう、ほぼほぼ突き止めてあるし、一過性のものであろうとも理解しているため、そこまで深刻には考えていない。
原因はおもに湿気の多さや気圧の低さ、単品では小さく見えるタスクたちが思いのほか重なっていたこと。ざっくりいえば疲労だ。疲労がたまっているのであれば、唯一無二の対処方法は「休息」。ただそれだけであろうと重々理解はしているのだけど、この「休息」というのが昔からみょうにへたくそだ。
とりあえず寝たいだけ寝たら休息が叶うと信じていたのは数年前までのこと。もっと抜本的な、もっとからだ全体がからっとなるような、風がふくような、もっと飛躍的な方法にすがったほうがいいのではと思いつつ、それを思いつくことも、実践することもいまだにへたくそだ。
犬の画像を見てほっこりしようと思ってスマホを見る。ついでに気になった記事を読む。いつのまにかツイッターのタイムラインをするする追い始める。止まらない。
こういう時間を重ねに重ねると、どんどんからだが休まらなくなるとわかっていても、スマホのなかでくるくると、変わる変わる現れる情報をまえにして、ちょっとした興奮状態になってしまった脳は「まだ止めないでほしい」と言ってくる。
こういうのを、ちゃんと防げるようになりたいけれど、自制心が足らない。
ドラマや映画を見ていると、物語のなかに登場する人たちは、少なくとも私よりはずっとずっと、携帯と距離を置きながら過ごしているように思う。毎日携帯を所持してはいるけれど、使ってもいるけれど、数分ごとに頻繁に画面を見ているような様子はない。せめてあのくらい、携帯と距離を置きたい。
そう思いながら、この日記を書いている途中でもう、「ああ、スマホの中でだけ会える犬たちを見に行きたいな」という気持ちが募り始めている。
柴崎友香さんの『あらゆることは今起こる』を読み始めた。他人のからだはわからない。それがすべての前提だとは思いつつも、人の心のなかの動き、こんなふうに丁寧に追わせてもらえるとは。

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