半目を開き、ぽかんとニュースを見ていたら、「変えてはいけない豆腐の本質がおざなりになっている」という言葉が飛んできた。これは、どうやら革新的な豆腐が新発売になったという報道の一節のようだ。
豆腐は安く手に入りやすい。それゆえ家庭で重宝されているが、このままの価格帯で買われ続けていると、品質を保てなくなる懸念があるという。
品質を保てなくなれば、豆腐が豆腐でいられなくなる。なぜならば、豆腐は大豆を原材料とした、大豆の味わいを活かしてこその食べ物だから。
しかし、長らくの間、この「豆腐は大豆が要」という本質がおざなりになっていたという。どうやらそういう話らしい。
テレビの液晶画面のなかには、真剣な顔をした人々が変わる変わる姿を見せ、豆腐の本質、豆腐から考えるビジネスの本質、豆腐の価値を向上させるために必要なことなどを切々と語っていた。
そして、本質を守っていくために開発された、新発売の豆腐が紹介されていた。
なんでも「クラフト豆腐」というジャンルらしい。そうか、クラフト〇〇、着々と増えているのな……とじんわり思う。でも、そんなしみじみした気持ちを追い越すように、このニュースで語られる言葉の節々がいちいち心にひっかかる。
特にぐっときたのが「豆腐をめぐるステークホルダー」だ。普段ビジネスにおける横文字文化に精通していないため、正直、瞬時に意味をつかむことはできなかった。
ちなみにステークホルダーとは「企業のあらゆる利害関係者」を指すらしい。つまりは、豆腐に関わる人たちすべてに利益があり、シンプルにいえば全員万歳ってことだ。
豆腐だって、資本主義社会のなかで立派に生きる食材のひとつ。こうやって語られることはなにも不自然ではないはずなのだ。単に私の無知が、豆腐とステークホルダーとの間に壁や距離を感じているだけ。そう頭ではわかっている。
でも、それだけじゃ全然すまされない。自分の頭界で一度も交わったことのなかった「豆腐」と「ステークホルダー」が手をつないだ。しかもこれはたぶん、恋人つなぎのほうの手のつなぎ方だ。
豆腐とステークホルダーは引き続き手をつないだまま、ずんずんと押し寄せてくる。動悸がする。
この瞬間をなんとしても忘れまいと必死にメモを取った。
そしていま、豆腐のことがよくわからなくなりはじめている。
クラフト豆腐は食べてみたいけど、その会社の広報担当の方の手腕にまんまとしっかりのせられまくっているような気もして、勝手に癪な気持ちになりつつ、でも、それってつまり誰かが一生懸命仕事をしている結果でしかないので、食べたきゃ素直に食べればいいだけなんだよなぁとかと考えている。
そんなことをふわふわ考えて、ブログをかいていたら、ためていたお風呂のお湯が溢れているような音が聞こえてきた。やばい。
そう思っているうちにブザーが鳴った。どうやらうちの給湯器には、お湯を出しすぎたときに警告を伝えるためのブザーが内蔵されていたらしい。そうなんだ。今日、はじめて知った。
でも、もうできれば鳴らさないように節水をがんばりたい。

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