この夏、数年ぶりにミキサーを稼働させはじめた。

きっかけは仕事で関わったレシピだ。このまえ久しぶりにミキサーを使う必要があるレシピ記事の制作に関わったのである。

数年放置していたミキサーは、露骨なホコリの被り方をしていて、底部に「2013年製」と書いてあった。へえええ。もう11年も一緒に暮らしていたことに驚く。

なのに、11年も一緒にいたのに、11回、つまり年に1回ほど回したかどうかすら怪しい。

ごめんよミキサー。まじで放置しすぎた。ごめん。

謝罪の念を抱えながら回してみたところ、最初はぜんっぜん動かなくて、壊れたのかなぁと不安がよぎった。しかし、容器の部分をぐいっと下の土台にもうひと押し押し込んだら、ごおおおおおお!というけたたましい強気な音がはじまった。みるみるうちに野菜たちは粉々になり、ほどよく粘度のある液体に仕上がっていく。

ああ、スムージーだ。我が家には、スムージを作るための装備もポテンシャルも、11年ものあいだ、ずっとそこにあったのだ。

粉々になった野菜は、口のなかにすっと吸い込まれていった。するするする。これはいい。固形状態のものを噛み締めるよりもぐっとたやすく胃のなかに送りこめるうえ、栄養の吸収率も心なしか良いような気がしてくる。

以来、気をよくして7月はほぼ毎日スムージーを飲んでいる。

それでひとつ気がついたのだが、私は昔に比べて随分とミキサーを洗うのが億劫じゃなくなっている。

昔は、洗うという、ただそれだけの工程が嫌すぎて、使うことを避けていたのに。その結果、数年もの間、手をつけることすらなくなってしまっていたのに。

久しぶりに触ってみたら、当時の自分の思いがまったく想像できなくなっていた。もはや「洗うだけじゃん」と思うようになっていたのだ。

実際、使い終わったあと、その日のうちに洗い、次の日にはまた使っている。

嫌いなものや苦手なものには、できるだけ近寄りたくないからと、スッと距離を置いてしまいがちだけど、ずっとそのままじゃないのかもしれない。

そう思うとさ、ますます物を捨てるのが怖くなる。今日の私には必要なくても、3年後の私に必要なものかもしれないもの、きっと家のなかのいたるところにある。

ものを捨てたくないというより、ものを捨てるのがこわい。こっちが正しい。だったらいっそ、家がどんどんおっきくなればいい。大きくなってしまってほしいよ。

35平米から50平米に豪速でダイブしてくれ。

そんな横暴なことを考えてしまった。日曜日だけど、明日も休みだからかもしれない。

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