食べ疲れしない。
長谷川あかりさんのレシピ投稿に添えられているのをきっかけに把握した、このことばが好きだ。
食べ疲れしないとは、言葉のとおり「食べることで疲れないこと」と認識している。やさしい味で、胃や腸がフル稼働でぶいぶい頑張りすぎなくても、スッと自分の血肉にしていける軽やかさがある、という感じ。
逆にいうと、疲れる食べものは確かにあると思う。
でも、それが悪、というわけではもちろんない。
ときには、くたくたになるまで、食べることに全集中したいときだってある。味、かみごたえ、香り、素材が持っているうまみ、調味料たちのがんばりなどなど、食べものが持っている魅力と要素のすべてを全身で受け止めて、「もう無理〜〜!!!」ってなるくらいまで、疲れ果てるまで、楽しみ尽くしたいときだってある。
たとえば焼肉とか、骨付き肉をがぶりといくとか、こってりした濃厚な味の料理とか、カニとか、バイキングとかはそんな感じ。
だけど、食べ疲れの豪遊ができるほど、私の心身にはキャパシティがない。食べる前からすでに、なんなら会社からの帰宅途中とかに疲労困憊のピークを迎えてしまってて、「もう無理〜〜」ってなっていたり、キッチンに立つ前から「もう勘弁して〜〜」ってなっていたりするときだってたくさんある。むしろ、そういう日のほうが圧倒的に多い。
いや、そういう類の疲れ以前に私の場合、「食べることで疲労を感じるのは避けたい」という気持ちが、ごはんを食べる行為の基盤にあるかもしれない。
うすーく水でのばした水彩絵の具を重ねるように、ささやかな味わいをちょっとずつ重ねて、そのやわらかな味につつまれるくらいがちょうどいいなって思うことは、1年のなかで結構ある。
やさしい味わいは、乱暴に言い方を変えるなら薄味ともいえるので、ぼうっとしていると、うっかり味の機微をスルーしてしまう危険もあるっちゃあるのだけど、落ち着いてキャッチすれば、野菜のうまみ、たんぱく質のうまみ、素材の持つ香りなどが、すーーっと指先を撫でるように訪れて、じわじわ、じわじわ、じわじわと体と心に染み入ってくる。
そういうごはんを食べたいから自炊をしているときがある。
でも例外ですき家のタコライス(温玉のせ)は、食べ疲れしない味でおいしかった。
今日久しぶりにすき家に行ったら終売になっていて心が泣きました。
復活して!!!

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