きのうの夜、道を歩いていたら、5メートル前方に犬のおしりがあった。
ふさふさのしっぽがにゅっと生えた、もふもふのおしりである。歩くたびに左右に軽快に揺れて、夜の紺色に白く浮き上がってくる。その動きを追うだけで、ご機嫌な犬だというのがよくわかった。
かわいい。かわいすぎる。身体のごく一部の挙動だけで、あいくるしい素直な生きものだというのが、なんでこんなにはっきり伝わってきてしまうのか。
ほんとうは、厳密にいうと見えていたのは犬だけじゃなく、脇にふたりの大きな人間がいて、犬はその人たちに連れられていた。つまり、犬のそばには飼い主がいた。なんだけど、犬のおしりに目を奪われすぎて、目線はすっかり下がり、視界の96%がおしりになっていて、それ以外がほとんど頭に入ってこない。しいていえば、飼い主さんのふくらはぎはかろうじて認識できていた。
夢中になると、目は勝手に絞り値を設定しはじめて、いちばん注目しているもの以外を全部ぼやぼやにする。こんなときにもし前方から自転車がやってきたら、正面衝突してしまうのではないか。あぶねえな。ここは心を鬼にして、前をちゃんと見て交通事故の防止につとめてほしい。
それでも早足で歩いていたら犬との距離が近づいてきて、みるみるうちにゼロ距離になった。
やっぱりとてもあいくるしくて、随分ところっころしている。ふわっふわだ。
正直めちゃくちゃ触りたい。
撫でまわしたい。
だけどだけど、それはだめだ。
別の種族だからといって同意なく軽率に触ってはだめなのである。
急に冷静さを取り戻し、絞りの数値を変えて、飼い主さんたちにピントを合わせた。
そうなのだ。すべての犬は、私の宝物である前に、飼い主さんたちの超・スーパーとんでもなく宝物である。だから、突然あらわれた第三者が突然にゅっと手を出してどうこうするわけにはいかないのである。それになにより犬から拒否される可能性だってある。
だから、うぐぐぐぐぐぐぐぐ。堪えなくては。
だけど、歯を食いしばっていたら、なんと犬のほうから接近してきてくれた。
まず最初に目が合い、私を「敵ではない」と瞬時にジャッジしたらしい犬は、においを嗅ぎながら、ご機嫌な顔で近づいてくる。そうしたら、飼い主さんたちは「犬、大丈夫ですか?」と心配してくれた。
すみません。ありがとうございます。ですが、これがまったく大丈夫なんでございます。いっさいなんにも問題はございません。むしろ願ってもないことです。心より、いや心よりももっと奥のほうから感謝いたします。私はこのもふもふとした、牙があるのにそれを積極的には使おうとせず、人間と友好をはかろうとしてくれるこの生きものが大好きなんです。
おでこを数回撫でまわしたら犬はすごく喜んでくれて、飼い主さんたちも「よかったねえ」「よかったねえ」と犬に話しかけていた。
つられて私も「このおうちの家族になれてよかったねえ」と犬に話しかけたくなってくる。
飼い主さんたちは、私と別れたあとも、犬に話しかけながら、軽快に歩いていて、それを見ていたら私もついうっかりスキップをしそうになった。
いい夜だ。たぶんこういう夜はそんなにたくさんはない。そもそも犬と会える夜は極めてめずらしい夜だし、触らせてもらえることは、もっとさらにめずらしい。当たり前の夜じゃないのだ。
この世のすべての犬が幸せでありますように。

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