8月に公開予定の映画「ラストマイル」の予告編で、主人公が「例えるの、下手ですか?」って聞かれていた。そういえば私も例えがわりと下手だ。比喩が上手な人はかっこいい。うらやましいけど、最近はもう諦めた。

ところで文章内の「という」は削ったほうが読みやすくなるという考え方がある。あと「こと」も削ったほうがいいと言われがち。

この日記は魂の叫びということです。

この日記は魂の叫びです。

……というように。

この方法は半分以上正しいと思うが、私はいまだに納得がいっていない。

あなたにとってはいらない「という」かもしれないけど、私にとっては必要に迫られて入れた「という」かもしれないのだ。少なくとも自分は1か月に1回以上、そういう「という」をわざわざ書いている。極論あっても意味は通るじゃん?って思いながら。

すべては音読したときのリズムのためである。あったほうがしっくりくるケースがどうしてもあるのだ。時と場合と内容によっては、文章に柔和さを加えられる場合もある。

ただ、ここで問題なのは私はライターである一方、編集者でもあること。

この「という」は必要に迫られて入れた「という」かもしれない疑念が完全には晴れないまま、それでも削った方が文章がすっきりするだろうと、人の原稿の「という」を削っていることも、1か月に3回以上ある。

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