節分の数日前に気がついてしまった。
そういえば、恵方巻を「正しい食べ方」で食べたことが人生で一度もない。
なお、恵方巻の正しい食べ方とは下記を指すらしい。
・指定された方角を見ながら食べる
・食べている間は終始無言を徹底
・食べながら願い事を心のなかで唱える
もちろん、まったく知らなかったわけじゃない。
私たちを取り巻く社会は、入念に着々と、お正月が終わった途端から外堀を埋めていくかのように恵方巻情報を垂れ流し始める。どんなにふわふわ歩いていても、スーパーのアナウンスが「今年は、西南西です!」と元気よく教えてくれるのである。
だがそれらの情報は、「小耳に挟んだ」の範疇を越えることなきまま、指定される方角が妙に細かいゆえに、「東北東のやや東の方……って結局どういうことなんだ??!?」とぼんやり考えているうちに当日を迎え、せっかく恵方巻を手に入れても、「ともかく食べたいわ、一刻もはやく食べさせてくれ」って気持ちになっていた。
もう、そうなると、「無言で食べ続ける」の風習もどうでもよくなるもので、適当に自分のリズムで食べ、味わいに夢中になっているうちに、願い事を唱えるのを失念してしまう。
つまり私はこれまで、ぺらぺらのかたちだけの風習を味わっていたのである。もっともやる気が薄いときには「巻き寿司はいつ食べてもおいしいのだから、わざわざ今日食べなくてもいっか」とスルーを決め込んでいたこともあった。
なんというか、ぐだぐだだった、ということである。
でも、今年こそは、ちゃんとがっつり「風習」をやってみたい。
調べてみたところ、「今年の恵方巻の角度」を教えてくれるアプリがあった。

アプリを開くと、ただただ、見るべき方向が指し示されているのだ。
うわー。めちゃくちゃ便利じゃん!
食べるときは、座ってても立っててもいいとインターネットに書いてあったので、正座していただくことにする。
おっし、食うぞ。

ほおばるたびに、なるべく恵方巻と自分の口とが離れないように気をつけながら、慎重に食べ進める。
途中、米粒が何度かぽろっと落ちた瞬間があって、「この米粒はいつ拾うのが正解?」と疑問を抱く。悩んだ結果、「忘れないうちに拾ったほうがいいんじゃないの?」と、無理のある格好で米粒を拾っていた。
そして食べているあいだじゅう、気がついたらずっと、「具が見たい」と願っていた。
なぜならば、私が食べていた恵方巻には、普段あまり触れ合う機会のない、つやつやのほたてやサーモンたちが入っていたのである。

そう、私と彼らは食べる直前までは見つめ合えていたのだ。
なのに食べている間はまったく見えなかった。
そして彼らとは、ついぞ一度も目が合うことのないまま完食を迎えた。
つるっ、つるっと具材が口のなかに滑っていく感触だけが、彼らの存在を伝える。でも、それだけじゃぜんぜん物足りない。もっと、できるならばもっと、見目麗しいほたてとサーモンとじっと見つめ合って食べ進めたかったのだ。

そのあと、Twitter(現X)のタイムラインを見ていたら、おいしそうな海鮮恵方巻が輪切りになっている写真に目が留まった。
そうだよ、私が見たかった景色はこれだよと思った。
食べものを食べるときは、なるべくなら、その食べものをじっと見つめながら食べたいのだ。食事は食べものとの逢瀬であり、逢瀬とは、その時間の限りを尽くして見つめ合うことなのだから。
来年は具の入ってない恵方巻を食べたい。
でも、それだとご利益はないのだろうか。
ちなみに今年ははじめていわしの頭をひいらぎに刺すやつもやってみた。

いわしって骨多いな。


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